Jリーグの誕生から現在に至るまで、数多くのドラマが繰り広げられてきました。
その中でも特に注目されるのが、1993年のリーグ創設時から参加している「オリジナル10」と呼ばれる10チームです。
ちなみに私は横浜フリューゲルスの大ファンでした
本記事では、オリジナル10の全チームについて解説しつつ、J2に降格していないチームはあるのか?また、J3まで落ちて這い上がれないチームはあるのかも紹介してます。
サッカーファンならずとも知っておきたい、Jリーグの雑学知識を深掘りしていきましょう。
Jリーグのオリジナル10とは?
Jリーグのオリジナル10とは、1993年にJリーグが開幕した際の初期加盟クラブで、以下の10チームを指します。
- 浦和レッドダイヤモンズ
- 鹿島アントラーズ
- ジェフユナイテッド市原
- 横浜マリノス
- 横浜フリューゲルス
- ヴェルディ川崎
- 清水エスパルス
- 名古屋グランパスエイト
- ガンバ大阪
- サンフレッチェ広島
当時、私は大学生でしたが、ヴェルディ川崎vs横浜マリノスの開幕戦もシビれましたし、初めてカシマスタジアムに行った時はメッチャ感動したことを覚えています。
それでは、オリジナル10の各チームを紹介していきます。
浦和レッドダイヤモンズ
1981年に設立され、埼玉スタジアム2002をホームスタジアムとしています。
クラブの愛称は「レッズ」で、なんと言っても熱狂的なサポーターが特徴です。
私の当時のレッズの思い出としては、福田正博選手が開始早々ゴールを奪いメンバーが喜び過ぎている間に、キックオフされて鹿島アントラーズに速攻でゴールされてしまったシーンです。
Jリーグ開幕当初は、日本代表:福田正博選手を中心としながらも、なかなか勝てずに不名誉な連敗記録を作ったりしていました。
J2も経験して、でも着実にレッズは強くなっていきましたよね。
鹿島アントラーズ
ホームスタジアムであるカシマスタジアムは、Jリーグ開幕時からとても話題になりましたよね。
鹿島アントラーズは、天皇杯やリーグタイトルを多数手にしており、その実績は国内外で高く評価されています。
また、何と言ってもJリーグ開幕前から元ブラジル代表で黄金のカルテットの1人であるジーコの存在は、とてつもない影響を与えたことでしょう。
そして、ジーコの相棒であり、アデランスのCMにも出演したアルシンドの活躍もあって、鹿島アントラーズは初期のJリーグを引っ張っていきました。
ジェフユナイテッド市原
本拠地は千葉県市原市で、ホームスタジアムはフクダ電子アリーナです。
クラブのユニフォームカラーは黄色と緑、地域密着型の活動を積極的に行っており、地元の子供たちやファンとの交流を大切にしています。
また、当時のジェフユナイテッド市原と言えば、リッティーこと元ドイツ代表のリトバルスキーはジェフのサポーターだけでなく、多くのサッカーファンを魅了していました。
私個人的には、鹿児島実業のエース城彰二選手が高卒ルーキーとして活躍したことも鮮明に覚えています。
横浜マリノス
横浜市をホームタウンとし、日産スタジアムを本拠地とする横浜マリノスは、フランス代表を彷彿とさせるトリコロールカラーのユニフォームが有名ですよね。
そして横浜マリノスと言えば、伝説的な選手であるミスターマリノス木村和司です。
サッカーの人気が全く無かった時代を生き抜いてきた彼は、誰よりもJリーグを待ち望んでいたのではないでしょうか。
日本代表として戦った韓国代表との試合でのフリーキックのゴールは、今見ても鳥肌が立ちます。
横浜フリューゲルス
上記で紹介した「横浜マリノス」とのライバル関係は有名で、毎年行われる「横浜ダービー」は多くのサポーターを熱狂させました。
個人的に思い出深いのは、1998年には悲願の天皇杯優勝、その年のシーズン終了後に横浜マリノスと合併し、「横浜F・マリノス」となりました。
この合併は、Jリーグの歴史上でも衝撃的な出来事で、涙したサポーターも大勢いました。それだけに、フリューゲルスの歴史と功績は今もなお多くのサッカーファンに愛されています。
個人的には、マイアミの奇跡でブラジル代表を破ったオリンピック日本代表キャプテンでありドリブラー前園真聖選手や、日本代表ボランチ山口素弘選手などの名選手が思い出されます。
ヴェルディ川崎
ヴェルディ川崎と言えば、読売クラブ時代から受け継ぐグリーン&ホワイトのユニフォームを身にまとうスター軍団でした。
三浦知良選手、ラモス瑠偉選手、武田修宏選手、北澤豪選手といったスター選手たちは、当時の日本代表にも選出されましたし、クラブの黄金時代を支えました。
見ていてワクワクするブラジルサッカーのような試合運びは、ヴェルディサポーターだけでなく、多くのサッカーファンを魅了したはずです。
清水エスパルス
高校サッカーの名門:静岡の清水東高校出身の「清水東三羽ガラス」大榎克己選手、長谷川健太選手、堀池巧選手を中心とした清水エスパルス。
Jリーグ初年度は優勝できなかったものの、同1993年ヤマザキナビスコカップ準優勝、天皇杯ベスト4と好成績を収めました。
ちなみにヴェルディ川崎の三浦知良選手の兄である三浦泰年が初代キャプテンを務めて、Jリーグ兄弟対決が話題になりましたね。
名古屋グランパスエイト
名古屋を拠点とする名古屋グランパスエイトは、地元のサポーターから熱烈な応援を受けています。
クラブの象徴であるエンブレムは、名古屋城の金鯱をモチーフにしているんですね。ホームスタジアムである豊田スタジアムは、最新の設備を誇り、試合のたびに多くの観客で賑わいます。
名古屋グランパスエイトと言えば、1986年のメキシコワールドカップで得点王に輝いた元イングランド代表のゲーリー・リネカーの加入でクラブの知名度が一気に高まりました。
ただ、チーム内の連携不足やリネカー自身のケガの問題であったり、さほど実績を残せなかったことは本人もサポーターも悔しかったことでしょう。
また、かつては本田圭佑選手や吉田麻也選手など名だたる選手も在籍しており、クラブの歴史と実績は素晴らしいものがあります。
パナソニックガンバ大阪
パナソニックガンバ大阪は、Jリーグ参加に伴い1986メキシコ五輪でアジア人初の得点王となり日本代表の銅メダル獲得に貢献した釜本邦成氏が監督に就任して話題となりました。
Jリーグ初年度は、サントリーシリーズ・NICOSシリーズ共に8勝10敗に終わり結果に苦しみましたが、ヤマザキナビスコカップではベスト4に進出しました。
私個人的には、帝京高校時代から天才と呼ばれた磯貝洋光選手が好きでした。
サンフレッチェ広島
クラブ名「サンフレッチェ」は、日本語の「三」とイタリア語の「フレッチェ(矢)」を組み合わせたもので、広島にゆかりのある戦国武将、毛利元就の「三本の矢」の故事に由来します。
「一人なら簡単に倒されてしまうが、三兄弟が結束すれば安泰」という意味から、サンフレッチェ広島はチームやサポーターの結束力を大切にしているクラブです。
また、実は広島は日本で東京に続きサッカーが伝わった都市と言われています。
英国海軍のダグラス少佐が東京築地の海軍兵学寮で、訓練の息抜きとしてサッカーを伝えたとされています。
そしてその海軍兵学寮が、築地から広島の江田島に移転し、そこから広島市民にもサッカーが人気となり、1911年に広島中学で正式にプレーされるようになりました。
そして、その時の広島中学のユニフォームが「紫」だったので、サンフレッチェ広島は「紫」をチームカラーにしたと言われています。
J1のオリジナル10の後に参戦したクラブは?
Jリーグ開幕時のオリジナル10の10チームに続き、その後以下のチームがJ1入りを果たしました。
- 1993年:フジタFC(のちのベルマーレ平塚→湘南ベルマーレ)、ヤマハ発動機(のちのジュビロ磐田)
- 1994年:セレッソ大阪、柏レイソル
- 1995年:福岡ブルックス(のちのアビスパ福岡)、京都パープルサンガ
- 1996年:ヴィッセル神戸
- 1997年:コンサドーレ札幌
特にベルマーレ平塚(当時)の中田英寿選手の出現は、当時のJリーグに衝撃を与えました。
W杯初出場、アトランタ五輪出場、セリエAデビュー、W杯ドイツ大会でのブラジル戦敗退からの引退発表と、日本サッカー界発展に貢献した中田英寿選手。
身長175センチ、体重70kgソコソコと、そこまで大きい体格ではないのですが、外国人選手に当たり負けせず、いや逆に相手選手は倒れるも中田選手は倒れず突き進むフィジカルの強さ、体幹の強さ、身体の入れ方など、今までの日本人選手には無い「強さ」を兼ね備えていましたね。
J2に降格したことがないオリジナル10は?
1999年にJ1とJ2の2部制が始まりました。
2024年まで、J2に降格したことがないオリジナル10は以下の2チームです。
- 鹿島アントラーズ
- 横浜F・マリノス
まさに名門と呼ばれるチームですが、他にも例えばJFLの時代からJリーグ初期に名門と呼ばれたヴェルディ川崎さえもJ2降格しています。
ですので、およそ30年間J1で戦い続けることがいかに凄いことなのかがわかります。
黄金期と言われても、数年で監督や選手が変わり続けていくので、下部組織やフロントなどチーム全体で体勢が整っていないと、なかなかJ1で生き残れないですよね。
鹿島アントラーズがギリギリJ2に降格しなかったのはいつ?
鹿島アントラーズがギリギリJ2に降格しなかったのは、2012年シーズンのことで最終順位が「11位」でした。
2012年、鹿島アントラーズは「Jリーグ」の中でも厳しい戦いを強いられました。最終節まで降格の危機にさらされました。
見事「J2降格」を回避したとはいえ、J2降格は16位以下なので、結果11位と言ってもギリギリ残ったとは言えないかもしれません。
2012年に低迷してしまった要因はいくつかあると言われています。
オズワルド・オリヴェイラ監督からジョルジーニョ監督に変わったことで、
- 練習メニューが大幅に変更(長距離→フィジカル重視で主に短距離)
- 練習で目指した戦術と出場メンバーがかみ合っていない
そんな厳しい状況の中でも、逆に練習内容がかみ合いキレを取り戻した小笠原満男選手だったり、フィジカル強化でポストプレーに磨きをかけた大迫勇也選手は大きく成長しました。
イマイチ調子が上がらないチーム状況であっても、立て直す底力がある鹿島アントラーズ。
そんな鹿島アントラーズが、J2に降格してしまう時が来るのでしょうか?
横浜マリノスがギリギリJ2に降格しなかったのはいつ?
横浜マリノスがギリギリJ2に降格しなかったのは、2001年のシーズンで最終順位は「13位」でした。
この年、Jリーグは2024年よりも4クラブ少ない16クラブで構成されており、15位以下が自動降格となっていました。
横浜マリノスは、降格圏内の15位のクラブとはわずか勝ち点差3でしたので、チームもサポーターもヒヤヒヤしたことでしょう。
2001年のマリノスの主要メンバーは、GK川口能活選手、DF松田直樹選手、MF中村俊輔選手、FW城彰二選手と日本代表経験のある錚々たるメンバーでした。
それでもJ2降格の危機にさらされるとは、サッカーはチームスポーツなんだなぁと思ってしまいます。
J2に降格してしまったオリジナル10は?
上記の通り、J2に降格したことのないオリジナル10は、鹿島アントラーズと横浜マリノスの2チームなので、J2降格の経験があるのは以下の7チームとなります。
- 浦和レッドダイヤモンズ:2000年
- ジェフユナイテッド市原・千葉:2010年~
- 東京ヴェルディ1969:2006年~2007年、2009年~2023年
- 清水エスパルス:2016年
- 名古屋グランパスエイト:2017年
- ガンバ大阪:2013年
- サンフレッチェ広島:2003年、2008年
1年でJ1に復帰したオリジナル10は?
1年でJ1に復帰したオリジナル10は以下の5チームです。
- 浦和レッドダイヤモンズ:2000年
- 清水エスパルス:2016年
- 名古屋グランパスエイト:2017年
- ガンバ大阪:2013年
- サンフレッチェ広島:2003年、2008年
オリジナル10で、一番最初にJ2に降格したのは浦和レッズです。
サンフレッチェ広島は、2度J2に降格していますが、いずれも翌年J1に復帰しています。
J1よりもJ2の方が長いオリジナル10は?
残念ながら、J1在籍よりもJ2在籍の方が長くなってしまったオリジナル10は、東京ヴェルディ1969です。
- J1在籍:13年【1993年~2005年、2024年~】
- J2在籍:17年【2006年~2007年、2009年~2023年】
とはいえ、2024年に悲願のJ1復帰を果たしているので、このままJ1で戦うことができればJ2在籍17年を追い越すことができます。
未だにJ2からJ1に復帰できないオリジナル10は?
2024年現在で、未だにJ2から復帰できていないオリジナル10は、ジェフユナイテッド市原・千葉です。
2010年にJ2降格しているので、14年という長い期間をJ2で戦っています。
2023年には、J1昇格プレーオフまで進むも、東京ヴェルディに1-2で敗戦してしまい、15年ぶりのJ1復活を阻まれました。
J3に降格してしまったオリジナル10は?
2014年からJ1、J2に加えてJ3が追加されて3部制が始まりました。
結論から言うと、J3まで落ちてしまったオリジナル10はありません。
ただし、J1からJ3まで落ちてしまったチームは、今のところ大分トリニータの1チームのみです。
大分トリニータは、J2が始まった1999年から参加しており、2002年にJ2優勝して2003年からJ1で戦くことになりました。
しかしながら、2010年にJ2降格、2013年には再びJ1に昇格するも、1年でJ2降格が決まってしまいまいsた。
2015年には、J1に所属していたクラブ初のJ3が決定してしまいました。
その後も、J1、J2と上下移動の激しい苦しいチーム状況となっています。
J2のオリジナル10とは?
J1にオリジナル10がある以上、1999年から始まったJ2から参戦した「オリジナル」クラブは存在します。
J1と同じく10チームだったため、J2のオリジナル10と呼ばれるクラブは以下の通りです。
- コンサドーレ札幌
- ベガルタ仙台
- モンテディオ山形
- 大宮アルディージャ
- FC東京
- 川崎フロンターレ
- ヴァンフォーレ甲府
- アルビレックス新潟
- サガン鳥栖
- 大分トリニータ
どのクラブも、それぞれの地域や特性を取り入れて活動している素晴らしいクラブチームですよね。
私個人的には、地元が川崎なので川崎フロンターレのJリーグ参戦はとても嬉しかったです。
2024年は川崎市100周年ということもあって、川崎フロンターレのホームタウンで様々なイベントが行われていました。
ブルーインパルスも自宅上空を飛んでいて、近所でも盛り上がっていました。
話が脱線してしまいましたが、「J2オリジナル10」という言葉はサッカー業界でもあまり浸透はしていません。
あくまでJ1オリジナル10があっての、じゃあJ2参戦が10チームあるからJ2のオリジナル10としているだけです。
ちなみに厳密に言うと、コンサドーレ札幌はJ1初参戦からのJ2降格でオリジナル10入りしています。
まさに天国から地獄を味わってしまったコンサドーレ札幌としては、J2オリジナル10に数えられていることは不本意かもしれませんね。
J3は12チームなのでオリジナル12
J1にオリジナル10、J2にも取って付けたようなオリジナル10があるならば、J3が出来た時にもオリジナル10が存在します。
ただし、J3は10チームではなく12チームでしたので「オリジナル12」と呼ばれており、以下の通りとなります。
- グルージャ盛岡
- ブラウブリッツ秋田
- 福島ユナイテッドFC
- FC町田ゼルビア
- Y.S.C.C.横浜
- SC相模原
- AC長野パルセイロ
- ツエーゲン金沢
- 藤枝MYFC
- ガイナーレ鳥取
- FC琉球
- Jリーグ・アンダー22選抜
中でもFC町田ゼルビアは、2024年にJ1昇格してからも何かと話題となっています。
高校サッカーの名門:青森山田高校の監督だった黒田剛氏が監督に就任し、選手に対して理解しやすい徹底した具体的な指導方法が功を奏しているのです。
また、ロングスローであったり、あくまで勝ちにこだわる戦術は賛否両論ありますが、キッチリと結果が出ているので、今のJリーグに刺激を与えているのも事実です。
まとめ:Jリーグのオリジナル10は歴史の象徴ではあるが絶対ではない
Jリーグの発足時、1993年に「オリジナル10」と呼ばれる10チームが設立されました。
おさらいすると、
- 浦和レッドダイヤモンズ
- 鹿島アントラーズ
- ジェフユナイテッド市原
- 横浜マリノス
- 横浜フリューゲルス
- ヴェルディ川崎
- 清水エスパルス
- 名古屋グランパスエイト
- ガンバ大阪
- サンフレッチェ広島
これら10チームは、Jリーグの歴史と共に成長し、日本サッカーの発展に大きく貢献してきました。
その後も、J2オリジナル10、J3オリジナル12と新たなクラブチームが次々に参戦していき、今のJリーグを盛り上げています。
ただし、オリジナル10だからといって、初期参戦特有の優位性はありません。
言葉は悪いですが、振り返るとJリーグ発足時に所属していたという事実なだけであって、今は特別な恩恵があるわけではないのです。
とはいえ、オリジナル10の存在があったからこそ、今のJリーグがあり日本サッカーの発展に貢献してきたのです。
Jリーグ発足時には「Jリーグ百年構想」といって、世代を超えてそれぞれの地域活性化でJリーグを育てていくキャッチフレーズがありました。
1993年に始まったJリーグの100年後、2093年はどんなJリーグになっているのでしょうか?
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